7/5(木)雨一時晴後大雨
今日は雨、本日の予定は霧多布・納沙布・知床の岬めぐりに網走なのだが、雨この雨では岬は霧がみえる。霧しかみえないので、次回北海道ツーリング時にしょうと理由をつくり道東の岬めぐりはカットして、摩周湖などの湖めぐりにきりかえる。出発は9時30分まずは、摩周湖を目指してキャンプ場入り口で記念撮影し出発。
途中の道の駅で神戸ナンバのGPZを発見しかもカップルでタンデムである。飛行機でバイクをはこんだらしい。うらやましいかぎりだ。

神戸からの幸せとタンデムライダ
幸せのおすそ分けありがとうございました。少し雨がやんだような気がしました。静内のキャンプ場であった湘南ナンバーのオートキャンパも偶然ここであうことができた、まだまだツーリングは永いようだ。頑張ってください。
小降りになったので出発、摩周湖は、私から見れば布施明の歌のなかにある風景であり、九州育ちの筆者としては平地に存在するはずなのだが現実にいってみるとどんどん標高があがっていく、やはり火山湖のようだ。北海道の湖は火山湖が多い。地形的には、日本的というよりも千島列島・サハリンを含めたオホーツク海的というほうがあってるんじゃない?。まあ東北地方も同様に火山湖が多いのだが、それを除くと八郎潟とか浜名湖、琵琶湖は火山湖じゃないよね?。
閑話休題
ここで、北海道は日本に所属しているのだが、いつごろからのことだろうか?私見でいうと、現在・千島・サハリン・アラスカ・ロシア極東部に住んでいる北方民族の祖先と同種の民族が北海道オホーツク海沿岸を中心として居住していたようである。鎌倉期までに東北地方を追われたアイヌ民族が北海道に進出(本州から追われた?のかも)するとこの北方民族の祖先と思われる民族の痕跡は北海道から姿を消す。AC1200年代ころからはアイヌ民族の活躍する大地となる。現在残っている北海道の地名の多くはアイヌ民族が呼んでいた地名と思われる呼称がかずおおく存在する。東北地方においてもこの痕跡がみられるはずである。まあ関東以西の本州・九州には、韓半島・東アジア大陸よりの渡来人がつけたと推測可能な地名が存在するのと同じことである。
この地に倭人・大和人と呼ばれる民族が進出したのは江戸期と思われる。松前藩の進出がそれである。静内にあったシャクシャーインの像は、この松前藩とたたかったアイヌ民族の勇敢な長の像である。さらに明治期以降は土人保護法(明治32年3月)などを制定し、アイヌ民族の土地を合法的に取り上げたようである。アイヌ民族の文化からすれば先祖伝来の大地(アイヌモシリ?)である北海道をアイヌ民族の一戸に定量の土地を与えるというような保護法により、実質的に北海道の大地を日本という権力統治機構の所有としたようである。
このような経緯からすると北海道をかっての江戸政権・日本帝国が領有し、宣言したのは徳川政権末期から明治期のことと思われる。
もし、これ以前に強大な統治機構をもつ民族が北海道に進出していたとしたら、北海道は日本領土ではなかったかもしれない。そうなると日本国も現在の様に存在するかどうかはなんともいえない。
本題にもどる。
摩周湖は霧のなかである、みえるのは霧のみ、まさに「霧に眠る湖」であった。摩周湖展望台まであと10キロ程度のところで、スピードメータが動かなくなった、ケーブルがはずれたらしい、展望台駐車場で修理していると霧のなかからあらわれた大阪CBX1300?氏と記念撮影、かれによると網走にいくならオホーツク丼との薦められた。また、このあとにきた横浜ホーネット氏はこれから知床半島の温泉めぐりにゆくらしい。

摩周湖のほとり?で記念撮影 幻のオホーツク丼を薦められた。
摩周湖からふもとにくだり、網走に向かう、まずはオホーツク丼をたべなくちゃ!
海沿いまできたところで、道の駅はなやか小清水で休憩、ここはJRの浜小清水駅と併設されていた。線路をこえて50メートルほどあるくとそこはオホーツク海であった。
あとで、地図をみるとそこはキャンプ場であったらしい。この道の駅で、GSX1300氏がカッパをぬいでいた。そういえばすっかり晴れているので、筆者もカッパを脱ぎ走り出す。このあとGSX1300氏とは湧別まで(雨具の着脱で)何度も会うことになる。霧多布から岬を回ってきたかれによると岬は霧でなにもみえなかったらしい。ところで、知床岬なのだが、ゆっくり走ると鹿とかいっぱい会うらしい。後日あったライダが二人ともそういっていた。来年の資料にしなくっちゃ。オフロードはゆっくりと走ること、そうすれば自然にあえる。
網走に11時30ごろ到着、オホーツク丼をおいてそうなすし屋をさがすがみつからないので、網走駅近くのファミレスに停車、ここで品川ナンバの赤BMW1300?を発見。なかにいる黒ツナギライダがその人らしい。この人とはそのごも稚内でもすれ違ったが結局はなすことはできなかった。まだ北海道ライダになりきれてないなあ。
ファミレスをでてすぐに昼食にきたサラリーマンに北方民族美術館の行き方を伺う、丁寧に教えてくれた、しかしこの二人はこのために昼食ラッシュに遅れ他の店を探しに移動していった。たいへんありがとうございました。ご迷惑をかけてすみません。
北方民族博物館は市内天都山にあり、北方民族全般の展示をしている。そのため、北海道オホーツク海沿岸の先住民の遺跡について印象を薄くしている。この点に改善を求めたい。後日オホーツク海沿岸枝幸にすむ青年と話したときもこの遺跡については知らなかった、たぶん一般民衆への周知が及んでいないように思われる。

日本でここにしかない 北方民族博物館にて
今日は道北の天塩川温泉に宿泊予定なので、オホーツク海を興部まで北上しそこから内陸部に入り、距離があるため1時30には出発する。
網走湖・能取湖・サロマ湖沿岸をとおって北上する、明日6日7日は自転車レースがあるらしく競技自転車をみかけるツーリングチャリダとはあきらかにちがう感じがする。サロマ湖あたりで、雨がふりだしたのでカッパ着用、湧別までは小雨状態で走行する。GSX1300氏は旭川方面に向かうらしく湧別で追い越しここからほとんど単独走行となる。ライダーはほとんどいない。せっかくおぼえたピースサインも発揮する機会がない。紋別からは大雨状態となった。北海道は梅雨?入りしたようだ。梅雨のない北海道だがこの週は梅雨前線が北海道に滞在していたらしい、どこかに雨をよんでいる人がいるんじゃないかな。
興部から西へ折れ名寄をめざす。すぐ近いとおもっていたのだが、ここから天塩川温泉までは120キロ以上あった。19時天塩川温泉到着、キャンプ場と温泉は併設されており、キャンプ場の受付は温泉カウンタで行う。寒いので、受付前にテントを設置し、温泉カウンタ受付へ、入館料200円。露天風呂でくつろぎ8時にはテントで就寝。ライダ3名オートキャンパー3名、テントにとまらず、温泉の宿にとまった人2名であった。そばの小川が濁流となってながれていた。
深夜2時ころ、あまりの寒さに目をさます。i-modeの天気予報によると明日の稚内の最高気温11度、現在温度はわからないが寒いはずだ。悪いことに雨の中を走ったために寝袋のつま先部分が濡れている。ビールで気合をつけてむりやり寝付いた。雨のときはビニール袋が必需品だ。(体にはビールが必要だ。)
本日の走行距離 550キロ位 給油2回