7/11(水)晴

 午前5時頃起床、蚊の来襲に耐えて夜明けを1時間以上寝過ごして掃除のおじさんがきたところで片付けを始める。テントがないので片手間で片付け終わり。テントがあっても実際は10分程度しか変わらないのだが気持ちの問題だ。ただし、テントの有無は睡眠の深さに大きく影響するようだ。これまでの充分寝た状態から一変して寝不足疲れた状態で起床となる。今日は家にかえるぞと気合をいれて出発。長岡で東京まであと○○キロの看板。やっと看板で東京を確認できた。いままでは、新潟まで200キロとか長岡まで60キロとか、東京の文字がなかったのだ。新潟で見たのだが、高速に乗ってしまったので高速道路上の看板だったように思う。
 まずは、三国峠越えだ。三国峠は東京で暮らし始めた頃の年末に当時乗っていたTY125というバイクできたことがある。大雪で長岡までゆき、あまりの寒さに引き返したところ、三国峠封鎖直前に峠にはいることができ、なんとか帰宅できたことが思い出される。そのあと峠は正月3日日あけるまで封鎖されるほどの雪であった。このときは回りはすべて白い壁であったのだが、今日はなんと素晴らしいことか、風とともにすぎゆく景色といい、もっと走れよと話し掛けてくる風、そしてタイヤのひげをきれいにそってくれる道。気持ちのいい垰越えとなった。本州にはいってから暑くてしょうがなかったのだがやっと涼しい風を感ずることができた。垰をこえて、いよいよ関東平野にはいる。あと100キロをきった前橋でファミリレストランで朝食とする。このあたりにはファミレス探しに困るほどいっぱいあるのだ。家々のない道路など、全くといってない。バイパス道路は家はないけど田畑はある、北海道とは全然違う世界だと感じる。
大宮がちかくなると、さいたまの看板が目に付く、3ヶ月前にきたときはこの看板は、なかったように思われる。こういう所は行政の手の早さを感じる。もっと危機体制の整備・充実とかに力を注げばいい行政組織なんだけど日本は!と思う。
 閑話休題、7月21日午後8時30分明石市主催の花火大会で10人が死亡する事故が発生した.花火会場に通ずる歩道橋上が3000人の観客で渋滞状態でとなり将棋倒し事故が起きて10人の死亡者がでたのだ。この場所は年始の初日の出のときにも同様の状態であったという。そのときは将棋倒しがおきなかっただけなのだ。この事故は予測された観客渋滞になんら対策をうたなかった主催者が引き起こした事故に思える。これは現在日本の行政組織がかかえる最大の問題ではないだろうか?想定される危機・おきてしまった危機に対し、危機管理できないという問題である。例をあげてみよう。同じ兵庫県では、6年前の震災時の火災である。これは地震発生後10時間以上経過しておきた、火災の原因は壊れた家屋内での漏電だ。地震後電気は止められていたので、本来火災はおきないはずであった。しかし、電力会社が勝手に送電開始したのである。これにより、火災が発生したのだ。送電すればどうなるか?想定できる火災である。危機を想定できない、もしくは管理する人組織がないことが問題なのだ。当時の村山首相に第一の非があるが、これだけではない。関東では電力会社の管理するダムから放水すると下流中洲で遭難しようとしている無法キャンパ10数人子供も含まれている。地元警察署は電力会社に対し、放水停止要請をだし、その間に救出しようとしていた。あと少しで救出できる。テレビでみていた多くの人々が思った矢先、電力会社係員による、放水がはじまるダムが壊れるかもしれない状態であるので、規則にしたがい放水したとのことだ。その結果、助けを求めていた人々は、濁流にのまれてしまう。翌日下流のダムにて帰らぬ人となって発見された。乳児1名が奇跡的にお母さんから岸に向かってなげられ助かったのみであった。これなどは行政による危機管理を認めない企業と危機管理ができない行政体制が人名を救えなかった型だ。
 振り返ってみると、日本は黒船にゆれた江戸末期・明治初期、バルチック艦隊の日露戦争、古くは元寇、、さきの敗戦よりの復興など日本民族存亡の危機を英知と努力、あらゆる力を結集して危機に勝った歴史を持つのである。かっての日本人はそうであった。
 それはさておき、いよいよ東京は間近となる。さいたまからは、大宮バイパスに入りさらに首都高速にのる。首都高は大渋滞である。ひさしぶりにすり抜け走行12時40分、品川到着、4600キロの旅であった。

         自宅前で記念撮影 行く前よりだいぶ年をとった? 
走行距離 300キロ 給油1回

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